群馬県伊香保温泉/凌雲閣
【大浴場】
【第二号源泉】
源泉名 / 伊香保温泉 本線(混合泉)
効 能 / 神経痛・消化器病
泉 温 / 41.6℃
知覚的試験
/無色透明、僅かに茶褐色の沈殿物あり
(下記表は本水1kg中に含有する分量)
泉 質 / カルシウム・ナトリウム−硫酸塩
・炭酸水素塩・塩化物温泉
(中性低張性温泉)
湧出量 / 5000 L/分
PH値 / 6.3
陽
イ
オ
ン
成 分
ミリグラム
ミリバル
ミリバル%
陰
イ
オ
ン
成 分
ミリグラム
ミリバル
ミリバル%
ナトリウムイオン(Na
+
)
115
5.02
33.25
ふっ素イオン(F
-
)
0.1
0.01
0.05
カリウムイオン(K
+
)
13.1
0.33
2.22
塩素イオン(Cl
-
)
127
3.58
24.40
マグネシウムイオン(Mg
2+
)
30.8
2.53
16.77
硫酸イオン(SO
4
2-
)
313
6.52
44.49
カルシウムイオン(Ca
2+
)
138
6.88
45.60
炭酸水素イオン(HCO
3
-
)
278
4.55
31.06
鉄(II)イオン(Fe
2+
)
7.34
0.26
1.74
臭素イオン(Br
-
)
0.3
0.00
0.00
マンガンイオン(Mn
2+
)
1.48
0.05
0.36
アルミニウムイオン(Al
3+
)
< 0.05
0.00
0.00
ストロンチウムイオン(Sr
2+
)
0.39
0.01
0.06
(計) 306
15.1
100.00
(計) 718
14.7
100.00
<分析機関 群馬県薬剤師環境衛生試験センター> 分析年月日 平成19年6月8日
当館の由来
伊香保の地は、古くは天文〜永禄年間に、上杉氏の寵臣であった長尾氏から家臣団である木暮・岸・ 千明・島田・大島・永井・後閑の各士に伊香保の地を与えられ温泉経営に当たることになり、そののち天正4年に湯元から現在の石段街に移住し大屋14件からなる温泉街を形成しました。
位置は、榛名山腹の北側傾斜地に石段を挟んで逆扇形に広がり、当館は扇の要の場所に在り、上には伊香保神社、下方には旅館や店が軒を連ねております。当館の位置には、かつての当時の名主 木暮八郎氏父祖伝来の所有で、旅館「楽山館」と呼ぶ木造3階建ての建物がありました。
この伊香保の地に、明治12年7月、明治天皇の御母君にあせられる英照皇太后陛下(考明天皇の皇后)が親しく行啓せられました。この行啓は、伊香保が保養地として全国から注目されるようになり、皇族として最初のことであり歴史的な出来事でありました。当時を物語る記録では、行啓は、大夫・書記官・侍医等150名からなる従官を伴って御馬車に乗り、途中大宮・熊谷・高崎に泊まり、山道に入ってからは御興しに乗り換えこの地に辿り着いたと言われ、陛下の御座所にこの「楽山館」を当て、他は隣接6件の館を当て、7月17日から8月2日まで滞在したとのことであります。 こうしたことから現凌雲閣の位置は、歴史に残る由緒ある場所であります。
また、こんなエピソードもあります。群馬県の夏は雷が付きもので、この行啓のときも毎日のように 雷鳴が轟き、7月27日の午後4時頃従官の宿に落雷がありました。いささか心配になってきたので避雷針を取り付けたいという希望が出たが、群馬県ではその例がなく、行啓の期間だけでも借り受けたいと伊香保に通信施設もなかったことから渋川村(今の渋川市)まで馬でおりて内務省に電報を打ち、ようやく取り寄せ「楽山館」に設置しました。これが避雷針群馬県第一号であったということです。この行啓を機としてその後も伊香保の地に皇族方の来湯が続き、政府の高官や実業人。文人なども来湯するようになったと言われています。
伊香保の地は、数度に及ぶ大火に遭いながらもその度ごとに再興し、当時の「楽山館」も「凌雲閣」「千登世館」と名を変え営む中で、時の移り変わりとともに、当共済組合が買収し現施設を建設したものであり、今も現凌雲閣は、全国の官公庁職員の出入りが続くなど一貫してその歴史を残しております。
なお、浴室への廊下壁に3枚の錦絵が掲げてありますが、これは明治14年〜16年にかけて浴客の土産 として販売したもので、「楽山館」での風景を描いたものと言われています。
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